鬼滅の刃の見方
映画にもなった無限列車編は、現在フジテレビでも土曜日にアニメで放映されています。
少しづつ描写にいろいろ加えられているのですが、自分の住んでいる世界(3次元)から見るのを変えてみませんか?
無限列車編は、煉獄の想いに本当に多くの人が感動し涙を流しましたね。
後のものへと受け継がせる想い、私たちの先祖も子孫へとつなげるために、多くの犠牲を払い、たくさんの思いを遺してきたはずです。
三次元世界から見ると、煉獄に大感銘を受けることでしょう。
ですが、私が印象に残っているのは、那多蜘蛛山。
那多蜘蛛山は、「柱」でないと手に負えないほどの鬼たちがいました。
蜘蛛の鬼たちは「家族」を作って暮らしていますが、実の家族ではありません。
ポイントになるのは、十二鬼月・累塁から力をあたえられた鬼たちは、「家族」の役割を割り振られて「家族ごっこ」をしています。
累にまとを絞りましょう。
累は小さな頃から走ることもできないほど虚弱な子供でした。
「みんなと同じように走りたい。」その願いを叶えたのが鬼舞辻無惨。
累が鬼になってしまい、父母は累を殺して一緒に死のうとしますが、結果的に累は両親を殺してしまいます。
両親を殺してしまった累は、母と父が恋しいあまり「家族」を作って那多蜘蛛山を牛耳っていたのでした。
❶累の願い→それを叶えた鬼舞辻無惨これこそが、ヨコシマな神の代表です。
ご利益信仰と思ってくださいね。
❷鬼になって父母が死ぬ願いは叶ったけれども、大切なものをなくす。
これがヨコシマな神とつながると、必ず犠牲を払うことになります。
鬼滅の刃では鬼は、鬼滅隊によって滅ぼされるのです。
❸鬼は自分たちの背後にもいるこの塁は、私たちの周囲(背後)にいる見えないものの一つです。
長い間に執着が強くなり、いつの間にか元の姿を忘れてしまった鬼。
権力やお金、女性などの執着が取れずにこびりついている鬼が自分の背後や遺伝子の中にいるのです。
❹愛でしか浄化できない最後は、累は、禰豆子と炭治郎の兄妹愛が素晴らしいことに気づき禰豆子を妹にしたいと思うのです。
ですが、炭治郎は、それを許さず、累を倒します。
炭治郎の愛が、累を浄化していきます。
累の亡骸を富岡が足で踏みつけたシーンにも、鬼であって鬼でない、一人の人としてみる炭治郎の愛がかいまみえます。
❺父母に会えて、元に戻る。最後は愛によって、自分の姿も変わり、最愛の父母が迎えに来ます。
❻最も大事なことは、鬼滅の刃には登場しませんが、鬼舞辻無残を操る最奥の神の存在です。
これは、正邪を操るのは、さらに奥の宇宙創造神がいると考えるべきではないかということです。
ヨコシマな神の存在は、必ず必要なのです。
そうでないと正しい神がわかりません。
ですから、正しい神様は、人の汚れを撮り、綺麗にするために、様々な不幸や病気も引き起こします。
ですが、気付くだけで、あっという間に変わるのです。
鬼滅の刃に出てくる鬼たちも、昔を思い出し、元に戻っていきます。
日向があれば日陰もある。
善があれば、悪もある。
光があれば、闇もある。
正があれば邪もあるのです。
鬼舞辻無惨を使って人の邪(よこしま)な心にすまう鬼。
その鬼を招くのは、自分の中にある心です。
なぜ、鬼が来るのか、その奥にある宇宙や神の意思を掴むことが、気づきのコツです。
4次元、5次元以上の世界から俯瞰的に物事を見る見方をしてみましょう。