不動の心を持ちたい
04月30日 10時22分53秒目下のテーマは、自分がいかなる環境に置かれても影響を受けない心を持つこと。
何しろ、心というのは、コロコロ動いてしまうから、常に平常心を保つのは、難しいことです。
起きてくる出来事、人から抱く感情、メールやラインにのる波動、メディアからの情報などが、日々押し寄せてきます。
すべては自分から出しているものを映し出しているのですが、これに影響されないでいることはなかなかできていません。
目の前で会った 人の頑なな一筋の考え方。これは自分と同じだなあとか。
すべて自分の手柄にしようとする表と裏のある人の振る舞い。
嫌だなあ、これも自分の姿なのかなとか。
感情を引きずっている自分がいます。
「不動」というと思い浮かぶのが、不動明王です。
不動明王は真言密教の大日如来の化身、内心の決意を表わす仏様だそうです。
その怒りの形相は、煩悩や迷いをいさめ、さまざまな困難や障害を打ち払うためだそうです。
右手の悟りを表わす利剣は、あらゆる迷いを断ち切り、左手の縄で、教えに背く者を自身の手元に手繰りよせ、正しい教えに導句と言います。
不動明王の姿は、お釈迦が、最後の修行をされたときの内心の強い決意だそうです。
「我、悟りを開くまでは、この場を立たず」と決意されました。
世界中の煩悩や妄想が坐禅をしている釈迦を挫折させようとして押し寄せましたが、お釈迦様は微動だにせず煩悩や妄想を打ち払われました。
お釈迦様のような不動の心を持つことは難しいものです。
ですが、揺らいだ心を速やかに元の平常心に戻せるようになりたいものです。
先日も仕事の場で、いつも気にならないことが見えてしまいました。
利益が取れない仕事です。
自ら利益を手放してみました。
すると、依頼者の心は非常に大きく、むしろ利益を手放してはいけない、自分がちゃんとするからと言われました。
今までとかくお金に厳しいと、思われていた人でしたが、実際はそうではありませんでした。
むしろ、その周りの人が欲深いことが見えてしまいました。
その人からは、自分がお金をもえらえないことを聞かされていましたが、そうではないということが見えてきました。
隙があれば、私のしている仕事まで取ろうとしている周りの人の姿でした。
この件は、今まで信じていたことが、崩れ落ちてショックでした。
一晩、この意味を考え続け、揺らいだ心は元に戻りませんでした。
何があっても、何を見ても、ゆるぎない精神力、不動の心を極めるのは大変な道のりです。
変わらないのは、自分は生かされている事です。
見せられるすべてのことに感謝して、自らのデータに気づき消していくこと。
それを頑張りたいと思います。
「乱れない心」などはありません。
乱れ続けないよう、瞬時にその意味を理解し立て直せるように、俯瞰的な見方をしていこうと思います。
人の心は、揺らぐもの。
何物にもこだわらない心を目指していきます。