謎の問い合わせ
不審な電話がありました。名前も名乗らない失礼な電話です。
「お会いしたいのですが。」
「なんおためにですか?」
「前世が知りたいのです。」
「知ってどうするのですか?」
馬鹿げた話です。
前世を知って、何がしたいのですか?
何の役に立つのでしょうか。
知ったところで何もできません。
興味本意は、不幸の元です。
そういえば、以前もいましたね。
「自分はキリシタンの家系だから、天草に行きたい」と言った人が。
もしあなたが、キリシタンの処刑地で処刑されていたらどう思いますか?
国を離れて神のためにと日本に来られた宣教師。
幸せになるために神を信じて布教活動をした日本の人。
神を踏むことはできないと踏み絵を拒否して処刑された人。
中には、間違えられて処刑された人もいるでしょう。
当時は、宗教の自由もありませんでした。
しかし、自分の思いは変えられないと自分の意思を貫いたのでした。
ある意味、すごい人たちです。
自分なら、遠い異国から神様のためにと、布教活動のために日本には来ることはできません。
自分なら命には変えられないと、神様が書かれた絵も踏んでしまうでしょう。
そういう人たちのいる場所に、興味本位、物見草で行くのですからどうなるかは、お分かりいただけるでしょう。
長崎の平戸には、宣教師たちを慰霊するために海外から数多くのかたがお見えになります。
考え方が違うと、人生においても大きく結果は違ってきますね。
歴史を振り返るときに、その中に、名もない多くの人の人生があることを思い起こしましょう。
名もなき人の人生の積み重ねで、今日の日本も存在しているのです。
ちなみに前世は、今の自分の仕事や状況を見れば一目瞭然です。