「見えないものが見える」メリットとデメリット
世の中には、見えないものが見える、聞こえないものが聞こえる人がいます。
一般の人には無い力があることは羨ましいことです。
大事なことは、何が見えているのか。
何が聞こえているかです。
私は全く見えません。
でも、額のあたりに映像が発生することや、人の思いがまるで書いた文字がぎゅーっと凝縮されたように入ってくることがあります。
見えたらきっと怖いでしょうね。
同じ見るのなら、他人を使って自分を磨いてくれている見えない人や、できればそれを動かしている神様にお会いしたいです。
私が辛い思いや悲しい思いをしている時は、その神様はきっと涙を流しているかもしれません。
そこまで見えたら、どんなことが起こっても感謝で乗り越えられるでしょう。
だからこそ、見える人にとって「想い」は伝わりやすいのです。
これがメリットです。
でも、見えない人が見えるだけでは伝わりません。
真意がつかめず、見える物に囚われてしまいます。
全ての人の中に内在神がいるのに、余分なものが見えてしまうと、一人一人同じように接することができなくなるのです。
これこそがデメリットです。
背後の強力なものを見るため、その人=神である対応ができないのです。
私は見ることも聞こえることもないのですが、感じることはあります。
人が話していることが心に入ってこないことがあります。
その人に憑依している人が話していると感じる時です。
大変申しわけなく思いますが、とにかく話させないと進まないからです。
思う存分話をしていただかないと後ろが納得されないからですね。
人に話すことは、「話す=離す=放す」につながります。
2020年05月05日 02時37分10秒