魂の汚れは、蓄積されたデータ
日曜日の一般セミナーにご参加いただきありがとうございました。
「汚れ」について話しましたね。
「汚れ」は自分自身が積んできたデータです。
「私は汚れているから」と弁解のように話す人がいます。
これでは、汚れがあることを認めても
汚れを消すことはできません。
データを消すとは、単なる思いの世界でできることではありません。
自分自身の性格の修正をしなければならないので、大変なことです。
汚れがどの部分にあるのか、自分で見極めないといけないのですから。
他人の悪口を言う人。
他人の責任にする人。
ご利益を求める人。
自分のことばかり考える人。
偽りを言う人。
不平不満を言う人。
他人を値踏みする人。
自分を有利に図る人。
他人を許せない人。
他人より上だと思っている人。
いずれも、データの蓄積によるものです。
自分で修正しようと思っても、自分自身が正しいと思っている間は、修正できません。
汚れ=データは、人と織り成していくときに、不必要なものばかりなのです。
自分の努力しかありません。
気づかないと、治せないものばかりです。
自分自身を見つめないと、直せないものばかりなのです。
カタカムナの実践は、自分を見つめやすくすることができる不思議な言葉です。