神社、仏閣へのお参りを尋ねられて
神社やお寺へのお参りはどうすればいいのですか?
わからないので本を買ってみましたと言ってこられた会員様がいます。
正直、神様方のお姿は、肉眼で見ることはできません。
そもそも、それぞれの神社に祀られている神様はいらっしゃるのですが、本当にその神様のお名前通りかもわかりません。
なぜなら歴史は大きく変えられていたり、神々のことも本当に正確に伝わっているかどうかは全くわからないのです。
そのため、私は、大変神様にはご無礼なのかもしれませんが、「御祭神」(祀られている神様)ならびに「御神霊」、「御修行中の御霊団のみなさま」とお参りをさせていただいています。
毎月1日と15日、必ず近くの氏神様にお参りをさせていただいています。
会員様の中には、氏神さまにお参りに行くようになって、神棚の榊が枯れなくなったという方もいらっしゃいます。
その地域に住まわせていただくということは、そこが所縁のある場所であることには間違いありません。
しかし、敵地か味方の地か、悪いことをした場所かいい場所かはわからないのです。
私の場合は、まず敵の場と考えてお参りをしています。
この地で悪いことをしてきたならば、この地から所縁の人を自分の生業を通してサポートをさせていただきたい。
そんな願いを込めてお詫びと感謝、「ごめんなさい、ありがとう、許してください、愛してます」と思いを捧げに伺わせていただいています。
本来なら、お掃除など少しでも境内を綺麗にさせていただきたいのですが、時間的にできないことばかりです。
そういう思いで神社仏閣の維持にお使いいただきたいとお賽銭をさせていただいています。
自分本位の願いはしたことがありません。
願いをしなくて失敗をしたことがあります。
それは私の子供が大学受験の時のこと。
なんだか神様に自分の子供のことをお願いすることはできませんでした。
ずっとできなくて受験を失敗。
それが原因で失敗したとは思ってはいませんが。何度も何度も受験生を繰り返してしまいました。
ある日、夢でお地蔵様がお出ましになり、一言だけ言われました。
「子供の道は地蔵が開く」と。思い当たったのは私の生まれ故郷の地蔵堂。
この夢を見た後に子供は大学に合格しました。
どうしても田舎の地蔵堂にお参りをと子供と2人で訪れました。
そこにあったのはボロボロの地蔵堂、管理されているお寺の和尚様は入院中でした。
こんな状況でも御守護を下さったことに感謝し、お手紙を書き少しばかりの寄進をさせていただきました。
この地蔵堂は山に続いていて山頂にはお寺があります。
伝説では隆の山で尻尾に地蔵堂があります。
小学校の遠足でみんなで登った山です。
今は、誰一人登ることなく廃れてしまっています。
特別信仰を持っているわけではありませんが、昔から地元の方々が崇拝してきたものを軽視するのはどうだろうかと思っています。