人を治したい気持ちの奥
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人の治療は自分ではできないのです。
多くの人の病気や悩みが無くなって欲しいという願いは、誰もが持っている当たり前のものです。
決してそれが悪いわけではありません。
とっても正しい欲なのです。
でも人の治療はできません。
人を作ったのは自分ではないからです。
どんなに治したいと思っても、治そうと思えば思う程、その人は「治る」ことから離れていきます。
求めれば求めるほど、その人はその求められた結果を受け取ることはできなくなります。
この法則をわからないと、人を治すことなどはできないのです。
人を治療したい、治したいという気持ちはよくわかります。
中には、治したいという気持ちを利用されている人もいます。
治したいという気持ちには欲があります。
自分には力はありません。
それなのに自分が治そうとするのはおこがましいのですよ。
治して、人から「すごい」と言われたいのでしょうか?
治して、人に自分の存在を認められたいのでしょうか?
たとえ治す力があったとしても、それは誰の力ですか?
見えないものほど、恐ろしいものはありません。
中には、神様のふりをして自分を認めて欲しいと憑依をするものもいます。
自分自身が、謙虚に自分の心を見つめないといけません。
最も怖いのは、その治療を受ける人です。
その人が自分の力だと思って使っている力が、邪(よこしま)なものなら、その影響を受けてしまいます。
汚れてしまいます。
何も知らなくても、別の方向に導かれてしまうのです。
ですから、治療する人は、自分の心を見つめないといけないのです。
自分を認めて欲しいと思う人には、認めて欲しいというものが寄ってきます。
自分がすごいと言われたい人には、そう言われたいものが寄ってきます。
もちろん、その治療を受ける人にも、自分がそうなりたいと思う同じような気持ちがあるのです。
潜在意識には、そういった思いはありません。
ただ、その存在に感謝し、共に歩もうとする思いだけで寄り添ってくれます。
自分の存在を主張することもなく、すごいと認められなくても、たとえ認められなくても「感謝」をしてくれれば、喜びはとてつもなく、愛をさらに注いでくれます。
無償の愛なのです。
心の汚れを見つめてください。
人は必ず間違う生き物です。
間違っても、そこからまた始めればいいのですよ。
心は、コロコロ変わるものですから、こんなことは許せないと思っていても、また変わります。
縛るのではなく、許す気持ちが大事なんですよね。
私は、見えないものが怖いのです。
だって本当に見えないのですから。
だから疑います。疑って疑って疑って、実践をしてもうこれは間違いないと感じつまでには、とても時間がかかってしまいます。
自分が間違ってしまったら大変なことになるという気持ちが強いのですね。
でも間違いなんてない、正し芋間違いも関係ないのです。
潜在意識とつながっているならば、その人が望む道を示して導いてくれます。