これってご利益信仰?
ずっとご利益信仰はやめてね。と言ってきましたが、
御利益信仰を自分がしているかどうかわかっていない人がいます。
御利益は、すでにすべての人がいただいているのですよ。
自分が健康になりたい。
その奥にはご利益を受けたいという気持ちがあるのです。
私も、ずっと以前は、会社がもっと大きくなるように、豊かになるようにと、、
琉球のママのところで竹生島の神社に祈願をしていました。
ですが、琉球のママが旅立たれてからやめました。
よく考えるとわかります。
「大学に合格したい」と湯島天満宮に祈ったら、神様は全員大学に合格させたいと思いますよね。大学には定員があり、落ちてしまう人もいるわけです。
ですから、本来は、「お借りした力(才能)を精一杯発揮させていただきたい。自分にあった大学に合格させていただきたい」と祈るのがいいでしょう。
入学できるのは1つだけですから、2つ合格すると、落ちてしまう人もいるのです。
こんな話をしていると、私の子供が
「では、もし母親が癌になったらどうするの?手術しなければ助からない病気になったらどうするの?」と尋ねられました。
私は、自分の祖父の話をしました。
祖父は長い間リウマチで苦しみ、薬の副作用によって最後は心臓を悪くしました。最後は誰かがそばを歩くのも痛がって見ていられませんでした。
そんなとき母が神様に「もし祖父の寿命が来ているなら、できるだけ痛みを少なくしてください。自分のやりたいことをやり切ってからあちらに連れて行ってください。私にできることは何もありません。ありがとうございました」と祈りました。
すると、不思議なことに翌日から祖父の体は、痛みがなくなりました。
そして、山仕事や畑仕事をして、明るく快適に過ごせ、3日後の朝、卵かけご飯を食べたいといい、2杯も食べて、その日倒れてなくなりました。
人の生死は、誰にもわかりません。
だから癌になても、手術があっても、命を伸ばしてくださいと言ってはいけないと、私は子供に伝えました。
祈れることは、自分が癌になった人にも手術をする人にも何もできないこと、お返しもできていないこと、親孝行もできていないことを詫び、できることならさせていただける時間をくださいとでしょう。
病気にならないと気づけなかった、これまでのお詫びと感謝。
自分がさせていただきたいことのみです。
とても命を伸ばしてくださいなんて祈れません。寿命には宿命があるからです。
生かされている、もうすでにご利益は十二分にいただいているのです。
でも、なんだかわからないけれども、私には神様のところに行って正式な参拝をしたいという思いがあります。
その時には、何を祈レバいいのだろうかと、いつもいつも考えていました。
この7月玉置神社に伺って宮司さんにそのことをお尋ねしました。
「皆さん、正式参拝で何を祈られるのですか?」
「心願成就もしくは神恩感謝ですかね。」と宮司さん。
コロナであまり参拝をされている方が少なくて、じっくりお話をすることができました。いつもは、観光バスがたくさん詰めかけているのです。
「神恩感謝」
これならご利益になりませんね。
これまでいただいた神様の恩、
魂をいただいてからずっと何回も転生再生させていただいてるご恩。
全ての仕組みをいただいていることへの感謝。
その御恩に報いることはなかなかできませんが、
感謝ならできます。
今後は、私が各神社で祈祷を受ける時は、
「神恩感謝」一筋で行こうと、心に決めました。。
ご利益は授かるものであって、神様が勝手にくださるものです。
自分が求めていただくものではないのです。
ご利益信仰は、ご利益をくださるのが本当に神様なのかどうかにも問題があります。
もらいたいのですから、引き換えです。
勝手に神様がくださるのなら、お返しする必要はありません。
神社でのお参りは、お詫びと感謝が基本です。
できれが「自分を神様や人様のために」
「万世万物のために」お使いいただきたいと祈ることです。
中には、祈っておきながらいろいろなことが起こっても気づかない人もいます。
神様に対して行った祈りは、約束です。
神との約束は破ってはいけません。
安易な祈りは、約束さえ果たせず、自分の首を締めることになります。
神様から信じてもらえるような自分にならないと、結果は出ません。
信じていただくには、継続、そして謙虚さが大事です。
間違ってもパワーをもらいに行く!なんて思わないでください。
それはご利益です。
何をしにいくのか、考えましょう。