「聖隷」という言葉
浜松で見つけた気になる言葉「聖隷」。
主人が見つけたのですが、
聖(ひじり)と奴隷の隷ってどういう意味なのかなって話になりました。
調べてみました。
(聖隷クリストファー中学、高等学校ホームページより)
ヨハネによる福音書第13章の『最後の晩餐』のとき、
イエスはたらいに水をいれて弟子たちの足を洗われ(当時、他人の足を洗うのは奴隷のする仕事とされていた)、
『わたしがあなた方にしたとおりに、あなたがたもするように』と命じられたと記されています。
主イエスが奴隷の形をとって弟子の足を洗った姿に理想の生き方をみた先人たちは、聖なる神様の奴隷になって世の人々に仕えようとの祈りをこめ、その事業に聖隷と名付けました。
「クリストファー」の由来
クリストファーは、半伝説的殉教者の名前。世界で最も強い者に仕えたいと思った若者が、王様、悪魔などの弟子になり、最後にキリストの弟子になりたいと交通の一番多い街道で川の渡し守となって、キリストの通りかかるのを待った。ある嵐の夜、濁流の中をその若者が少年(実はキリスト)を背負っていると、ぐんぐんと重くなり溺れそうになりながらやっとの思いで向こう岸にたどりついた。この重さはキリストが「世界の全ての罪と苦しみを背負っている」ためだと知った。
その伝説がライン河周辺にあります。ここからクリストファーには「キリストを運ぶ者」の意があります。
生徒一人ひとりが、友人、病人、障害者やお年寄りの方々(隣人) の不安や苦痛、悲しみを理解し、クリストファーがキリストを大切に背負ったように、これらの人々を大事にする若人がこの学園から育ってほしいとの願いから「聖隷クリストファー」と命名することにしました。
このように尊い言葉でした。
私はキリスト教についてはよく知りませんが、
気づき塾で話している、「人類の原罪」を背負うという話と
相通じるものがありますよね。