12月22日浜松から戻ってきました
4日間も浜松にいました。
浜松は、家康ゆかりの地。
来年の大河ドラマで、すでに盛り上がっていましたね。
浜松城は別名「出世城」。
家康が17年間在城した浜松城は、江戸幕府300年の原点となった出世城なのです。
この他にも出世をした人がたくさんいました。
路線バスに乗ってみると、浜松には戦いに
縁のある名前の停留所が目に止まります。
徳川家康
1542年岡崎城主・松平広忠の長男として誕生。幼名は竹千代。
7歳の時、今川義元の人質となり駿府へ移ります。
桶狭間の戦いで今川義元が織田信長に討たれると、
家康は岡崎城に戻り信長と結盟、24歳で徳川家康を名乗ります。
そして1570年、家康は本拠地を浜松に移し、浜松城を築城します。
その頃から遠江国の覇権をめぐり、武田信玄との抗争が激化していくのです。
三方ヶ原
生涯最大の敗戦地
1572年、上洛途中の武田信玄が遠江国に進軍。
北遠地方を手中におさめた武田軍は2万7千の兵を連れて南下。
その時、三方ヶ原へ向かった徳川軍は1万2千。
数に勝る武田騎馬軍団に徳川軍は総崩れとなり、家康は九死に一生を得て浜松城(古城・引間城)へ逃げ帰りました。
三方ヶ原の戦いで家康は大敗北したのです。
犀ヶ崖
家康は犀ヶ崖付近に陣を張る武田軍を崖に落とそうと策を練り、夜襲をかけます。
まず崖に白い布を張り橋に見せかけ、次に浜松城近くの普済寺に火を放ち浜松城炎上と見せかけました。
そして武田陣営の背後から援軍が来たと思い込ませ、人馬もろとも谷底へ追い落としたといわれています。
戦国最強の武田信玄に果敢に立ち向かったことで家康の武勇が世に知られるところとなりました。
布橋
白い布を端み見せかけた場所です。
三方ヶ原の戦いから3年後、
長篠の戦いで織田・徳川連合軍は武田軍に大勝し、遠江国を手に入れます。
1586年、居城を浜松城から駿府城へ。豊臣秀吉死去の後は関ヶ原の戦いで西軍を破りました。
1603年に征夷大将軍に就任、江戸幕府を開きましたね。
写真は、味噌まんじゅう
家康イラストのオリジナルパッケージです。
こしあんが上品で美味しくいただきました。