感謝の行で細胞が震える
2020年11月11日感謝の行を初めて見ました。
これは、十言神呪の神歌にヒントを得てからです。
自分は、全てに感謝をしているつもりでしたが、それはつもりなのですね。
意外と感謝が漏れている人がいました。皆さんも試してみてください。
アルバムを持ってきていろいろなことを思い出しましょう。
思い出して感謝するだけで、変わってきます。
自分が胎内にいた頃産婦人科の先生や看護師さん、祖父母の思い、母の友達など、影で見守ってくれた人がいました。
生まれてから取り上げてくださった産婦人科の先生、親戚、友人、子守をしてくださったおばあさん、薬はシロップしか飲めないと駄々をこねた小児科の先生。
魚の骨が喉に詰まったときにとってくれた柔道整復師、いつもおやつをくれていた親戚のおばさんなど。
保育園の通園では保育園の園長、担任の先生。
お昼寝の時に邪魔をしてくる曽根くん。
お迎えに来てくれても歩いて帰らないと駄々をこねておんぶして連れて帰ってくれたおじいちゃん。
毎日いつも同じおやつが嫌だったけれどパンケーキを作ってくれたおばあちゃん。
小学校では小学校の先生たち、自分の担任の先生。大嫌いだった上り棒や鉄棒。青鼻を袖で拭っていた辻本くん、髪の毛をとかなかった松岡さん。
合唱部で蜂蜜レモンを作ってきた是沢先生。
鼻骨を骨折した嫌な跳び箱。
「袖すり合うも多少の縁」と言いますがクラスメートも偶然ではないのです。
ほんの少ししかいなかった転校生のななちゃんや転校していった片山くん。
習字、ピアノ、塾、茶道など、大成するには至りませんでしたが、数々の先生。
懐かしい木造校舎にも感謝です。
中学校で憧れの生徒会長、職員室で綿菓子を作ってくれた坂本先生。
癌で亡くなった英語の大塚先生、パジャマを縫う宿題をプロに頼んでばれて叱られた家庭科の先生。
本棚を作る宿題を全部してくれた原田先生。
いつも一緒にトイレに誘ってきた同級生。
もらったものを壊し以後17年間絶好をした沖村くん。
大嫌いだった持久走をしたグラウンドにも感謝です。
高校ではすごくおしゃれなネクタイをしていた担任の鈴木先生、当時好きだった郷ひろみのサインをもらってくれた悦ちゃん。
脳腫瘍で入院した音楽の先生。
ゴールデンバットとあだ名をされていた化学の水谷先生。
数学が解けなくていつもノートを移させてくれていた同級生。
毎日父親に車で送ってもらっていた高校生活。
ここまで浮かべても、感謝と言っても全ての人やものにしていなかったことがわかりました。
大学も仕事でもどれだけの人にお世話になっているのか。
どれだけの人が支え、鍛えてくれたのか、日本という平和な国のありがたさを感じます。
セミナーを聞かれた人には、お分かりだと思いますが、蘭の花を咲かせるには、根っこへの感謝が大事なのです。
歳をとっているので、振り返るには、1日ではたりません。
ですが、思い浮かべて感謝をするだけで、すごいのです!
体の中の細胞が揺れ動く、共振するのがわかりました。
先生の中には独身で自分の代で終わっている方もいらっしゃいますが、「ありがとう」という感謝の波動が私にかえってきました。
誰一人いなくても、今の自分は存在しなかったと痛感しました。
お金もかかりませんし、時間があればどなたでもできます。
お試しください。