人は神の宝
世に中には、悪い人はいないというのが私の自論。
言うなればすべての人は良い人、性善説の考え方をとっています。
性善説は、人間の本性を善とみる説中国、戦国時代の儒者である孟子が説いたものです。
でもそれならば、なぜ、悪事をはたらく人がいるのかということになります。
究極を言えば、悪事をはたらかされているといっていいでしょう。
誰のために、何のために?私は、気づきのために起きていると思うのです。
本来は、善の人も、どういうわけか、清算のために使われてしまうのです。
この1ヶ月、とても理解に苦しむことがたくさんありました。
何故、この人はこういう考え方をするのだろうか?損得で考えていけば、わからないことだらけ。
このままでは人間不信になってしまいます。
改めてじっくり考えました。
久しぶりにぶつかった壁でした。
でもわかったのです。
私にこの悩みを引き起こしているのは、この人の空間や遺伝子の中にいる人たち。
こびりついている人たちでした。
私に気づきを与えているために使われているだけでした。
頭で理解しているだけでは、何度も不平不満が出てきます。しっかり腑に落ちないと文句が出るのです。
考えるベクトルを外にばかり向けていると、人に嫌なことや気になることばかりが浮かびます。
ベクトルをうちに向けて、どうして自分が「こういう目に合うのかを考えないと答えは得られません。
どうしようもなくて、アコーディオン御朱印帳に特殊な書き方をしてみました。
書いて神棚に向かうと2文字の漢字がスーッと見えました。
これで本当に理解できました。
自分や自分たち一族のやってきたことが。以来、私は全く文句も不満も言うことは無くなりました。
人は神の宝です。
神様は、いかに有効に人をお使いになって気づきをくださろうとするのかがよくわかりました。
こんな人の使い方も合うものかと驚きました。
神様がくださった事案を解明するのが、何よりも大好きな私にとって、今回のことは難問でした。
自分を磨いてくださってありがとうございます。
見えないものを見る視点は深くなりました。