パラリンピックから思う
パラリンピックを見ていると、
人は生かされているということを感じます。
最初は「Paraplegic(両下肢に障害のある)」の意味だったパラリンピックは、今では「Parallel(平行の・同様な)」 という意味のパラに変わり、障害者のスポーツの祭典「パラリンピック」になりました。
障害者と言いますが、私には障害のある人のようには思えません。
体を動かすために他の人よりも難があるというだけですよね。
体は、肉体、幽体、霊体と3つ重なったようになっているのですが、肉体の部分に障害があると考えています。
一人一人その経緯は異なりますが、自分の状況を受け入れ、認めて、立ち向かっていくには、どのようなプロセスを辿られたのだろうかと思います。
パラリンピアは、体の障害を抱えていらっしゃるのかもしれませんが、その言葉は、キラキラした輝きを放っています。
生きがいを持ち、どんな人よりも「生かされている」という気持ちが伝わってきます。
自分たちは健常者と言われるかもしれませんが、精神的に障害を抱えている、霊的に障害を抱えている人が多く存在します。
悩みを受け止めることができず、認めることができず、輝けず、もがいているたくさんの人が存在しています。
本当の障害者は、私たち健常者なのかもしれません。
あらゆることを受け止めて、拘らず、自分を卑下せず、いただいた魂や命を、精一杯最期まで、灯し続けていきたい。
テレビでしか見れないパラリンピックにそんな思いを持ちました。