「分析」と「観察」の違い〜本当の自分
現在、私たちは本当の自分に気づくための実践を行なっています。
その中で、ふと気づいたことがあったので、本当の自分に気づくためのヒントになればと考え、書くことにしました。
人は、様々な人と交流しながら生きています。
その際、知らず知らずのうちに自分の知識や心、考え方を尺度に人を見ています。
私は、観察を得意としています。
何のために?人の健康状態や、病気の源を探るためです。
一人でも多くの人が、元から良くなってほしいと一生懸命観察をしています。
物事の本質を見るときに、私はいつも「何のために?」を問いかけています。
そうすると本質が見抜けるからです。
「分析する」はどうでしょうか。
「分析」は、何のためにするのでしょうか。
そうです!誰かを助けるためではありません。
自分のためです。
しかも、分析して相手のことがわかっても「私」は「あなた」、「あなた」は「私」であることを気づけなければ、単に相手の状態を自分で分類分けしたに過ぎません。
分析にも、愛があれば、まず自分が相手の気になる部分を修正することを始めます。
何しろ、自分が変われば、すべての空間も人も変わるのですから。
私は、25歳の時、一族の問題を解決するために家族で話し合いをしました。
一族の一番嫌いな部分は、他人のことを話すことです。
「あの人は、ここがどうだ。この人は、あそこがどうだ」とか。
私は、自分ができていないのに、そういう話をする家族が嫌いでした。
そこで、一切、人を、「さばく」ことをしないでほしいと話しました。
「さばく」という意味は、どちらかというと、「裁く」に近いでしょうか。
その人は、こういう人だと決めつけて判断を下すという意味です。
一度下した判断は、変わりません。
以降は人のランキングになってしまいます。
人は必ず変わります。
常に変われるように、潜在意識さんがことを進めているのですから。
ですから、何か気づきたい時、自分に問いかけて本当の自分を知りたい時には、なぜ?何のために?といかけてみることです。
その奥に、本当の自分がいます。ドロドロとした自分中心の自分がいます。