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祈りは、神の意思に乗る(添う)こと

祈りにはいろいろあります。
困っている時や苦しい時に助けて欲しいと願うこともあるでしょう。
親が危篤の時に、親の命を伸ばして欲しいと願うこともあるでしょう。

いろいろな願いがあるのですが、いつもいつも願っているばかりでは、神様も大変ですよね。
神様というのは親なのです。
だからこそ、可愛い子供である人に、潜在意識という小さな神様を予め内在させているわけです。
本人の考えは、あらかじめ、全て潜在意識からハイヤーセルフに、そして神様のネットワークで報告済みです。
だから本来は、何も願う必要はないのですね。
願わなくとも、いつの間にか叶う自分になればいいのです。

ところが、ご利益信仰のデーやがへばりついている人類は願うのですよ。
「人類が健康で平和で暮らしていけますように」
「戦争が早く終わりますように」とか。
まともな祈りのように思いますが、
私はそうは思いません。
誰がこの世の中を作ったのでしょうか。
いつの間にか神様よりも上になって、願いをして、自分岳ファいいことをしているかのような満足をしているだけではないですか。

初めから健康と平和のために地球を与えているのは、神様です。
コロナも戦争も抑えようと思えば簡単に神様は抑えることができるはずなのに、
抑えないのですよ。
意味があるわけです。
その意味を考えておのりをした方がいいと思っています。

神様より上に立った祈りは、しない方がいいのです。
空気も水も食べ物も、家も家族も仕事も与えてくださっているのですから
感謝しかありません。
こんな世の中にしたのは私たち人類ですからお詫びしかありません。

というわけで、私はお参りの際に報告はさせていただいています。
自分のこと、会員様のこと、そのほか。
苦しいときや困ったことがある時は、
「自分に気付かせてください」「導いてください」という祈りはしています。
でも最後は、
「自分がもっともっと変わらせていただいて大きく神様や人類のためにお使いください。たくさんのものをいただいて恩返しをさせてください」などと、祈っています。

言葉にこだわる人がいますが、どんなに同じ言葉を使っても
そこに想いがなければ伝わりません。
意識こそ一番大切なものです。

お参りに行った時だけ祈っても、日々思いを持って生活することこそが大事なのだと思います。

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