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よもやま話

生命ってなんだろう

この世に生まれた人が必ず持っているものは身体。

身体は、どんなに大切に使っても、酸素呼吸をしている以上害を受けてしまいます。

いつかは朽ち果ててしまうのです。

これは、どんな人にも平等に起こることです。

ですが、たくさんの人を見ていると、家族や友人の愛によって寿命が長えらえるのも事実です。

いつかは地球という星からさようならをしなければならない時がきます。

死は永遠の別れではありません。

「生前」はお世話になりましたという言葉があるように、あの世に生まれていくのでしょうね。

あの世から見れば、身体を脱ぎ捨ててよくきたとでも言っているのでしょうか。

身体があるがゆえに、辛いことも起きています。

私が、18歳のときに父は49歳、腸の外側にできる癌で亡くなりました。

なぜか痩せていく父は、自分の身体が気になって東京にまで検査に来ましたが、腸の外側にがんができていることは当時の医学ではわかりませんでした。

私は当時東京で寮に入って予備校に通っていました。

危篤になるたびに寮に父がやってきます。

夜中に自分で玄関に父を送ったところで幻だったことに気づくのです。

一生懸命千羽鶴をおると、危篤状態が解消されました。

父の最期は夢の中で知りました。

虚無僧姿の人がそっと玄関に木の実と「この木の実を食べると願いが叶う」と書かれたメモを置いて去っていったことで察知しました。

私は木の実をすぐに食べて大学合格を願いました。

気になって病院に電話をすると、看護師さんから父が亡くなって自宅に戻ったことを知らされました。

家に電話をすると、母からどうして知ったの?と聞かれました。

大学受験と重なっている私には知らせないことにしていたそうです。

受験の日は父のお葬式の日でした。

東京は雪が降っていました。

父に会うことはできませんでしたが、お葬式の日が受験日だった大学に合格することができました。

亡くなる人に執着があると、なかなか旅立つことはできません。

見送る側にも執着があると、旅立つことができません。

執着が取れるまで、特別な時間をくださるようです。

最期は「ありがとう」と心からの感謝をしてお別れをしたいものです。

魂は、永遠ですから、また会うことがあるに違いありません。

余談ですが、私は、なくなった父に、その後も何度も助けられました。

親子や夫婦の愛情は、特別なのでしょうね。

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