1. HOME
  2. ブログ
  3. 体験
  4. 出羽三山参拝終了

ブログ

BLOG

体験

出羽三山参拝終了

9月12日夜、無事に参拝を終えて戻ってきました。
なんだか不思議なところがたくさんありました。

出羽三山の開祖は、蜂子皇子。
そのお墓は、現在、東北で唯一宮内庁が管轄をしているお墓です。

奈良から逃げた蜂子皇子は、どんな思い出この地にたどり着いたのでしょう。
当時は、神を味方につけて行う政治の世界。
いかなる天皇も神の守護を得ようと、信仰者をそばに置いて政治を運営してきました。
蜂子皇子が、この地で難行苦行の末に見出した神様が、
羽黒三所大権現だったのです。
羽黒山山頂に羽黒山寂光寺を建立し、次いで月山に月山神、湯殿山に湯殿山神を勧請して羽黒三所大権現と呼びました。

私の推察に過ぎませんが、
当初は、天皇家として、政権を取り戻そうと考えていたのかもしれませんね。
やがて、平穏で安定した暮らしを願い、庶民を永久に守るために修験道の道を開かれたのだと思います。
その表れの一つが、即身仏です。
特に湯殿神社には即身仏のレプリカも安置されていました。

即身仏に至る過程は、想像を絶するものです。
いろいろ調べてみました。
「十穀絶ちで体から余計な脂肪や水分をできる限りそぎ落とし、さらに余分なものを体から出すために塩と水だけを摂りながら47日間断食。後に内臓が腐敗したり、虫がわくのを避けるために、人体には毒になる漆の樹液を飲んで、『土中入定(どちゅうにゅうじょう)』するそうです。
地下3メートルぐらいのところに作った土留めの石の室に入り、坐禅を組みながら木の箱に入ります。箱の周りは木炭で埋め尽くし、湿気を避け、臭いも取れます。入定した僧侶はひたすら読経をしてミイラ化への道が始まります。
石室に2本、節を抜いた大小の竹筒が通してあり、酸素を確保するとともに、弟子たちは太い竹筒から水を送る。細い竹筒には鈴が通してあり、毎日、決まった時間に僧侶も鈴を鳴らして生存を伝える。土中からの反応がなくなると、僧侶が成仏したことを知る。
その後、竹の筒を抜いて石室を密閉する。3メートルも地下にある石室の温度は夏も冬もほぼ一定に保たれる。それから3年3ヵ月後に掘り起こした時にミイラ化していた者だけが即身仏として祀られる。」そうです。

一生懸命即身仏を目指し、永遠に神になり、民衆のためになろうとしても、
ミイラ化できなかったら自分の思いは叶えられないのです。
朽ち果ててしまった場合は、無縁仏として供養されると言います。
 
自分が神になれなかった人たちは、どうなるのでしょうか。
仕方がないと諦めるのか、己の生き方を悔いるのか。
それはわかりませんが、
即身仏を目指して結果的に、その思いを成就できなかった僧侶の
悲しみ、苦しみの深さは、計り知れないものがあるでしょう。

関連記事