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仇討ちの心

2022年11月30日泉岳寺にお参りに伺いました。
魂や心を捨てるという意味が、少しは理解できたかと思います。

四十七義士のお墓は、浅野内匠頭よりも上に位置していました。
浅野内匠頭のお墓やその奥方のお墓にお参りしながら、
お殿様は、仇討ちを望んでいたのだろうかという疑問も湧いてきました。

「仇」と「敵」の文字の意味
この文字は、相手に関して負の感情を抱いているのは同じです。しかし、程度が異なるように思います。
「仇」は強い恨みを抱いている人のこと。より精神的。仕返しをするべき憎い相手をいいます。「仇討ち」のように、「自分の主君や肉親などを殺した者を討ち取って、恨みを晴らす」場合に使われます。
「敵」とは恨みもあるものの負けたくないという気持ちもあるもののこと。より物質的。争いに限らず競争や勝負事における相手を広くいいます。「商売敵」のように「ライバル会社のことを負けたくない相手」のように使われます。

泉岳寺の四十七義士の場合は、「仇討ち」です。
仇討ちは、主君に届けを行い、許可を得て行われるのです。
主君は、すでに幕府によって切腹させられ、藩はなくなっていました。
仇討ちは許されない行為です。
当時は連座制ですから、仇討ちをしたものは、親から子供まで3代、罪を問われます。
仇討ちに参加できず自害した一人、そして四十七人は、未来を捨て、家族を捨て、
心を捨て、仇討ちをなし遂げたのです。
仇討ちをしたい、復讐を果たしたい、恨みを晴らしたいという思いの強さは、
自分の心を冷酷にさせ、全てを捨てることができるのです。

そこまでさせてしまう出来事、主君への思いは、素晴らしいのでしょうが、
幸せにはつながりません。
泉岳寺の門には、蟠竜が天井に掘られています。
天を仰ぎ、トグロをまく竜の姿は、天に昇れない魂を表しているのだと思います。

復讐は気づいたものがやめなければ、永遠に続きます。
復讐の思いは、私たち人の遺伝子の中に受け継がれているものなのです。
そうした人の影響を受けている人も、実際には存在します。
自分自身の心の中が見えない人は、心や魂を捨てて自分に副手を遂げている人が存在していることを理解すべきです。

四十七士について、一度読んでください。
https://akoinfo.com/akogisi/akogisitop.html

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